山本五十六も愛飲
大平洋艦隊司令長官山本五十六と熊野との繋がりは、明治9年熊野灘阿田和沖で遭難した軍艦雲揚艦(うんようかん)、村人が乗組員を救助しことへのお礼の手紙(阿田和・光明寺に残る)。昭和10年遭難記念碑が建立された時、海軍中将として参列している。 さらに、五十六の無二の親友が大分出身の海軍仲間堀悌吉(ほりていきち)。堀宅には代々熊野出身の若い女性が行儀見習いとして住み込んでいた。ある女性が熊野に帰ろうとする日の近く、五十六は堀宅を訪れ、堀の依頼でその女性に色紙を認めた。「殺しても罪にはならぬ腹の虫」―これからの人生での辛抱の大切さを託したのであろうか。

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