与謝野晶子(よさのあきこ)の来訪
1915(大正4)年3月、与謝野晶子が急遽(きゅうきょ)新宮に訪ねてくる。生後2歳に満たない4男アウギュストを連れてのもの。沖野岩三郎の牧師館に滞在。夫寛(ひろし)が衆議院議員に立候補するための資金援助の要請のため。当時与謝野家に出入りしていた、佐藤春夫の手引きによる。ただ、晶子にとっては、夫援助の目的もさることながら、「大逆事件」の悲劇の地への訪問という意識も強く、大石誠之助の遺家族との対面も大きな影響を及ぼした。誠之助の娘鱶(ふか)を描いた「紀州のおふかさん」などの作品を残している。妻ゑいには「君わするこの国の人旅人をめでてわざわい負(お)へるふるごと」と和歌を認(したた)めた葉書を投函(とうかん)している。熊野川に舟を浮かべた折の歌―「わが船はいとよく涙うち流す人ばかり居てものがたりめく」

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