馬場辰猪(ばば・たつい)の英国話
1874(明治7)9月、政治家で思想家の馬場辰猪(1850-1888)が、池田町の船宿儀右衛門屋(ぎえもんや)に宿泊、英国体験を語っている。辰猪は旧土佐藩士でイギリスへ渡ること2度、法律を学んだ。不平等条約を批判、自由民権運動にも参加するが、あきたらずに渡米、肺を病んで米国で38歳で死去、気性激しく雄弁だったという。 この年、土佐から船便で上京する途中、大島沖で難破。新宮から材木船が出ると聞き及んで、大島から徒歩で新宮までやってきた。在京の英国領事パークスが専横(せんおう)ということで抗議するためであった。この頃、熊野川奥に石炭が発見され、全国から多くの鉱匠(こうしょう・石炭関係者や石炭夫)が集まってきていた。イギリスの石炭事情なども話したのであろうか。 渡米後、船宿の主に「ジ・イングリッシュ・イン・ジャパン」という原書が、お礼にと送られてきた。代表作は、国家主義を駁(ばく)した「天賦(てんぶ)人権論」(明治16年刊)。文学者馬場孤蝶(こちょう)は弟。

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