「新宮町字徐福7172」である
この番地は、現在の番地に当てはめると、岡本プロパン店付近に当たる。ただ、当時はいまのように通りは整備されておらず、徐福墓域の範囲も漠然としていた。土地台帳などによると、佐藤春夫の父・豊太郎は明治45年1月「徐福の墓」の北西30メートルにある土地を購入、広さは約190坪(約627平方メートル)。大正11年3月、春夫が相続、昭和13年2月この土地が売却されている。家がいつ建てられたかはいまひとつはっきりしていない。この「徐福墓畔の家」は、のちに「関井鉄工所」に譲渡されたというから、鉄工所のあった所は岡本プロパン店よりやや西側にずれている。現在の番地に直すと「徐福1丁目6-7番のあたり」、栽美園という成川の人がやっていた盆栽屋と、徐福墓畔の境内に挟まれる形で、春夫の家は存在したようだ。

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