「別当屋敷(べっとうやしき)」
写)別当屋敷説明版

別当屋敷を含む一画は、また「薬師町(やくしまち)」とも言われ、民家も多かった。明治29年の大火で焼失するまで、この一画は東仙寺(とうせんじ)の寺域。東仙寺に安置されていた薬師如来に由来する地名。火災で東仙寺などが焼失、東仙寺は熊野地小山田の地に移転、寺域の土壁なども取り払われ、田圃(たんぼ)も埋め立てられて、当時の1万円を支出して新たに区画が整理され、花街の「大王地(だいおうじ)」が出現した。古い記録は、震災で焼失したが、一時は名妓(めいき)200名を抱えていたとは古老の言。熊野実業新聞社もこの地にあった。

戻る