別名丹鶴城
国学者山田常典(やまだじょうてん)をして、「のぼり来てみれば名に負(お)ふ鶴の背に乗りて空行くここちこそすれ」(文久2年)と詠(よ)ませた新宮城、別名丹鶴城とも称される。明治6年城郭、敷地ともに和歌山県に引き渡され、明治8年本丸、鐘ノ丸ほかの建物はすべて取り払われた。その後、私有となった城跡は、明治期中頃になって茶亭が現れたという。

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