春夫、文学への目覚(めざ)め(「はまゆう」の復刊)
新宮中学に入学の際、「文学者になりたい」と語ったと言う春夫。次第に「野球少年」(はじめて新宮に野球が伝えられてすぐくらい)から「文学少年」に変貌(へんぼう)を遂げてゆく。与謝野寛(よさの・ひろし・この頃「鉄幹」の号を廃している)の来訪を機に、すっかり「明星(みょうじょう)」調に傾斜した新宮の短歌界。その中心の和貝夕潮(わがい・ゆうしお・1884-965)に協力して、一度は中絶していた「はまゆう」の復刊を実現する。和貝とともに編集にも関与した春夫は、佐藤朝鳴(ちょうめい)の号で作品を発表し、表紙画も描いている。第二期「はまゆう」には、のちに翻訳や社会批評で活躍する奥栄一(おく・えいいち・1891-1969)や、大衆作家として一世を風靡(ふうび)する下村悦夫(しもむら・えつお・1894-1945)なども参加したが、惜しくも2号までしか続かなかった。

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