アラフラ海への出稼(かせ)ぎ
アラフラ海(ポルトガルの古語「自由人」に由来)、海底から真珠貝を多く産出し、沿岸住民の重要な生業。特に海域東端トレス海峡に位置するオーストラリアの木曜島(もくようとう)を中心に、日本人の出稼ぎ移民が活躍。灯台建設で熊野にやってきた英国人が、熊野の人たちをオーストラリアに連れて行ったのが最初と言われるが、操船(そうせん)技術やダイバーとしての力量など、1890年代後半から第二次大戦期まで、その労働力の独占的地位を占めた日本人、その中心が和歌山県南部の契約労働者たち。和歌山県移民史によれば、三輪崎からの移民者の延べ人数は約1500人にも上る。第二次大戦中は強制収容所にも収監(しゅうかん)され、辛苦(しんく)も味わった。滞在中、事故や潜水病で亡くなった人たちも多く、ブルームの日本人墓地に埋葬されている。日常的には、漁場の水深の違いによって出身地による分業化も行われ、中水漁場最高のダイバーとして著名であったのは、三輪崎の竹中保市によって率(ひき)いられた船団であったと言う。ダイバーは命がけであったが、高額の金銭を手にすることもでき、故郷に送金された。

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