厳(きび)しい父と優(やさ)しい母
写)明治37年頃。左から 春夫、父 豊太郎、姉 保子、弟 秋雄、母 政代、弟 夏樹

佐藤春夫の成育にとって、父の厳しさと母の優しとが好対照を成している。「私は母の寵愛(ちょうあい)の子であつた」と春夫は語り、中学校へ入学するまで、母に添い寝をしてもらったと回想している。父は「甘やかし過ぎ」だと批判した。医師にさせたかった父の意向からすれば、文学の道に進むことは当初は不本意だったろう。父と子との「確執(かくしつ)」がしばらく続く。母はその間にあって、子の側に立った。「甘やかされた子供というものはいつも詩人である。つまり、詩人をつくる為めには甘い母が必要なのだ」と、春夫は語っている。それでも父は、春夫の文学の師であった与謝野寛(よさの・ひろし)や生田長江(いくた・ちょうこう)に宛てて、息子の将来を託す手紙を認(したため)ている。俳人で、多趣味、「俗な」ことを嫌った父の生き方は、やがて息子の理解するところとなってゆく。

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