俳人「遠松(えんしょう)」
顕明は、ほとんど唯一と言ってもいい「余が社会主義」の文章が「遠松(えんしょう)」の号で記されているように、浄泉寺の山号「遠松山」から採って自身の号としていた。そうして1899(明治32)年頃、ちょうど新宮に「金曜会」という新派の俳句が芽吹き始めた頃、俳句仲間との交流を持ち始めていた。しかし俳句の世界に安住しえなかったのであろうか、次第に遠ざかって「談話会」などに精を出したようである。主な句―「張りかえた障子あかるき小春かな」「洋傘に美人ぬれゆく初時雨」「吹きとばす雪風強き尾呂志道」など。

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