八角塔の「一牀書屋(いちじょうしょおく)」
ここは2畳ほどの小さな書斎で、春夫自身いつごろからか「慵斎」(ようさい・“慵”はものうい、気がすすまない、なまけるといった意)と称していた。「私は書斎としては小さな部屋が好きです」「只今の私の書斎は、四畳半の部屋の四隅を欠いた八角の室です」と、春夫が「住宅」(1932年12月号)で述べている「八角塔」のある部屋。春夫は、狭い書斎を好み、“参考の本などすぐとれるし、片付けるのにも早いし、冬は暖かい”と自賛していたが、芥川の書斎も狭い、傑作は狭い所から生まれるものだとも言ったと伝えられている。陶芸家河井寛次郎(かわいかんじろう)が「一牀書屋」と名付けたもので、「わずかの本しかない狭い書斎」というほどの意味。いま、河井自筆の額が掲げられているが、これは春夫の依頼に応えたもの。しかし、急逝したために、春夫はこの額を目にすることはなかった。

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