新宮八景・「蓬莱帰帆(ほうらいきはん)」
写)熊野川河口の「蓬莱帰帆」の風景

中国の水墨画の影響などで、歌川広重(うたがわ・ひろしげ)に描かれた「近江(おうみ)八景」などが先鞭(せんべん)となり、各地で八景を四字熟語などで称(たた)える鑑賞が明治・大正期には流行した。漢詩なども作られた。「新宮八景」として、称えられたのは―王子ケ浜の青嵐(あおあらし)・鮒田(ふなだ)冨士の暮雪・鴻田(こうだ)の落雁(らくがん)・神倉山の秋月・乙基(おとも)の夕照・瑞泉寺(ずいせんじ)の晩鐘・臥龍山(がりゅうさん)の夜雨・蓬莱帰帆―である。池田港から河口へ、林立(りんりつ)する帆船風景が「蓬莱帰帆」であった。 なお、写真家久保昌雄(くぼ・まさお・1864-1938)の「熊野百景写真帖」が増補改訂を重ねられたのを始め、絵葉書「新宮十勝八景」のシリーズが13枚の袋入りで新宮保勝会から刊行されたりしている。「新・新宮八景」を選んでみようと、作家の新宮正春(しんぐう・まさはる・1935-2004)が呼び掛けたことがある。

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