丹鶴城、炭納屋群の発掘
写)発掘された炭納屋群の跡

城内の「水ノ手(みずのて)」の説明版には、次のようにあるー「熊野川に面した水ノ手は幕府が諸藩に命じて提出させた「正保(しょうほ)城絵図(紀伊国新宮城之図)」(1644~1654年頃)にも描かれており、築城当初から新宮城の重要な施設として機能していたと考えられます。ここからは平成6年度の発掘調査で、多数の礎石建物跡が発見されました。建物跡の床面には砂利が敷かれ炭の粉が堆積していたことから、これらは1万俵もの炭俵が収納可能な「炭納屋群」と想定されました。城内消費用としては多すぎる数量であるため、熊野川流域の新宮炭(しんぐうずみ・備長炭)を専売していた新宮城主水野氏の対外的な経済活動用の施設であると考えられています。このような城内での経済施設の発見は全国的にも例がなく、ここは、近世城郭の経済的側面を実証するものとして、極めて重要な場所であると言えます。」

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