浜松の墓の移転
高木顕明の妻たしとまだ小学生であった養女加代子(かよこ)は浄泉寺を追われる形で名古屋に転出する。その後、加代子は芸者置屋に出され、豊橋、浜松などで芸者をしたあと、小料理屋を経営。昭和10年代天理教に入信、分会長などとして活躍。父顕明を尊敬していた加代子は、父の50回忌に近い1962年浜松に高木家の墓を作り、その10年後死去。墓は縁あって、新宮の南谷に移されたが、いまなお、天理教型の先が尖(とが)ったままの墓標である。

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