春夫、溺(おぼ)れかけた話
佐藤春夫、3歳の晩春の頃。4歳上の姉保子(やすこ)におんぶされて熊野川原で遊んだ時、川沿いの草原で姉は摘み草に熱中、その間に春夫は川中へ這い込んで行った。姉はあわてて家に泣いて帰り、「春さんや(主格を指す方言)川へ這入つて行つたよう」と泣きじやくりながら報告、父と母とが川原へ飛び出して行つてみると、附近の人に助けられて笑っていた。春夫の感想―「そこでわたくしは考へるのだが、三つのわたくしがそこへ這ひ込んで行つたといふのは、浅瀬の波に南国の日の光がきららかにうつつたのに魅惑されたのではなからうか。風景といふほどのまとまりのあるものではないが、わたくしは風景の一要素たる水光の魅力に誘はれたと云つてよからう。」(昭和33年「日本の風景」)

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