龍鼓橋(りゅうこばし)―町方(まちかた)と地方(じかた)の境目
写)今も残されている石の道標

新宮城下は、城下と村方(むらかた)からなり、城下は町方(まちかた)と地方(じかた)とに区分されていた。町方と地方との境目が石の龍鼓橋。そこから、千穂ケ峰の龍鼓の滝が見えた。 横に石垣の土手があり、その横を堀が流れ(堀端・ほりばた)、用水もあって、堤には冬でも真っ赤なバラが咲いていたのが印象的、とは古老の言。石橋の下には、地蔵が祀(まつ)られていた。道路改修や排水溝渠(こうきょ)の浚渫(しゅんせつ)などで、地蔵は撤去(てっきょ)され、いま遍照院(へんじょういん)内に祀られているのがそれであると言う。龍鼓橋のたもとには、三輪崎まで一里二十何里と書いてある、石の道標があって、いまでもその一部は、交番の斜め前、信号機の下に残されている。

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