佐野の柱松(はしらまつ)
もともと「柱松」は、柳田国男の「柱松考」にもあるように、盆の行事として全国的に行われていた。修験道と結びつけた解釈もある。太地(たいじ)でも柱松行事が行われていた。 佐野の行事の由来は、資料的には乏しいが、その起源は下諏訪神社(しもすわじんじゃ・現在、天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)に合祀されている)の神事に由来するのではないかとされている。上下諏訪神社は、合祀されるまで佐野荘六ケ村の郷社であった。明治末の新聞には、熊野の界隈(かいわい)で、その賑(にぎ)わしさは「那智の炬火(たいまつ)祭」と、この祭りしかないと記している。

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