顕明の平和思想・平等思想
写)顕明自筆

日露戦争後、1908(明治41)11月、大道(おおみち)の新宮中学校隣(現・県立新宮高校図書館付近)に、忠魂碑が建立され、その威容を現した。それより先、町の各宗寺院は、日露戦争に際し「敵国降伏」の戦勝祈願をおこなった。顕明はその仲間には入らなかった。絶対他力の宗旨(しゅうし)は、祈祷(きとう)や呪(のろ)いはご法度(はっと)と信じたからである。町内の各宗寺院は、顕明を排斥(はいせき)、「国賊(こくぞく)」と批判した。いっぽう、浄泉寺の門徒が、屋根板職人から差別をうける事件が起こった。関わったキリスト教会員と門徒との間で、さらに地域の名士を含めた「虚心会(きょしんかい)」という会合が幾度か開かれている。融和的な姿勢に批判を有しながらも、顕明は努力している。全国水平社が結成される10年以上前のことである。顕明の平和思想・平等思想は、「余が社会主義」に書き記されている。

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