合気道・引土道雄(ひきつちみちお)の墓
写)棒術を披露する引土道雄

対立を超えた「和」や「愛」の武道に昇華させたといわれる「合気道(あいきどう)」。その創始者植芝盛平(うえしばもりへい・1883-1969)は田辺の出身。熊野本宮参拝百数十度に及んだと言う盛平から、棒術(巻物)と剣術(口伝)の奥意を伝授された引土道雄(1923-2004)は、合気会熊野塾道場長を長く務めた。盛平が新宮に足跡を残すのは昭和の初期、久保写真館主久保嘉弘(くぼよしひろ)が最初の門人となった。巨人軍の王貞治が一本足打法を開眼したのは、植芝盛平の一言がきっかけという。 合気道は現在、アメリカ、欧州各国、アフリカ、東南アジアなどにも普及しており、引土は、アメリカや欧州での指導や演武に参加、平成7年には国連ユネスコ本部に招かれ講演と演武をしている。新宮市がアメリカカリフォルニア州サンタクルーズ市と姉妹都市提携を結んでいるのも、合気道親善がその端緒(たんしょ)である。

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