避難地(ひなんち)としての川原-南海大震災-
写)川原に避難した市民

敗戦前後、二度の大震災が熊野地方を襲った。1944(昭和19)年12月7日の東南海大地震(M8.3)、戦時下で情報は厳(きび)しく制限されていた。沿岸部は津波被害に襲われた。それから2年後、1946(昭和21)年12月21日未明の南海道大地震(M8.1)、このときは新宮の被害は甚大で、家の倒壊とともに、元町(もとまち)付近から出た火が、18時間にわたって燃え続け、その中心街をほぼ焼き尽くした。川原町、船町も消滅、多くの避難民が川原に集まって、避難生活を余儀(よぎ)なくされた。敗戦という国難の時期に、新宮の人々は二重の大変な辛苦(しんく)を強いられた。

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