「つぶら瞳」とか「黒瞳(くろひとみ)」
写真は、右端が中村楠雄、その左が佐藤春夫。佐藤春夫記念館が所蔵するこの写真の裏には、春夫の自筆で「佐藤春夫殿下小伝」という諧謔(かいぎゃく)交じりの戯文が記されている。 春夫が「黒瞳の少女」と呼んだ俊子(1891-1922)は、春夫の中学時代の先輩中村楠雄(くすお)と結婚、楠雄は海軍軍人として佐世保や呉に居住、同行するが、1920(大正9)年楠雄はニコラエフスク(尼港)事件で犠牲になる。俊子もそれから2年後伊佐田の家でキリスト教の洗礼を受けて病没、一男一女が残される。墓は中村楠雄とともに、新宮・南谷墓地の西側入口にあり、春夫は帰省の折などに、友人に墓参を依頼していたと言う。

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