捕鯨の地、三輪崎
写)三輪崎浦での捕鯨風景

太地浦が捕鯨の発祥地(はっしょうち)としてよく知られているが、熊野浦では捕鯨が盛んであった。1661年の記録によれば、三輪崎から24年間に、羽刺(はざし=鯨をもりで突く人)25人、加子(かこ=船乗り)2人が九州の五島(ごとう)列島の近海で捕鯨に雇(やと)われている。古座浦では、紀州藩の鯨方役所(くじらかたやくしょ)が藩営で捕鯨を行い、三輪崎浦では新宮領主水野氏が、鯨方役所を設けていた。 三輪崎浦では主に小鯨が捕獲されたというが、いまに「鯨踊り」を大切に伝承し、毎年9月の八幡(はちまん)神社の例祭には奉納されている。 熊野古道の高野坂(こうやざか)の森に、金光稲荷が祭られており、その祠堂(しどう)の横に鯨の供養塔と伝わる碑がある。鯨を遠見する「山見(やまみ)」の場所であったのではないかと言われている。


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