高木顕明(たかぎ・けんみょう)の赴任(ふにん)
高木顕明は1864(元治1)年愛知県西春日井郡西枇杷(びわ)町の生まれ。本名は当初は山田妻三郎。真宗大谷派が経営する名古屋の尾張小教校などで学び、得度(とくど)。尾張小教校の同級に高木礼譲(たかぎ・れいじょう)が居た。礼譲の兄は義答(ぎとう)、やがて顕名は義答の養子となって高木姓を名乗るようになる。1891(明治24)年、礼譲は浄泉寺の住職となる。このころ、顕明は、熊野川上流にある松沢炭鉱の飯場(はんば)の炭鉱労働者たちに布教するため熊野を訪れている。顕明は礼譲との繋(つな)がりもあって、1897(明治30)年浄泉寺に入寺。しかし、礼譲が不始末を犯し住職を辞任、顕明が住職に就任するが、しばらくはその後始末に追われた。

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