藤原定家
藤原定家は「正治二年院初度御百首」を後鳥羽院に献じて認められ、宮廷歌人の第一歩を踏み始めてゆくが、その折の一首である。「新古今和歌集」巻六に「冬歌」として収められ、「百首歌たてまつりし時」の詞書(ことばがき)がついており、家集「拾遺愚草(しゅういぐそう)」にも出ている。 ただし、この時代、「佐野の渡り」は大和の国の歌枕と考えられていた節もある。熊野では、雨に比べて雪の景はあまり似つかわしくないので、定家も大和の国を想定していたのかも知れない。

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