遺家族慰安
写)墓域内配置図

大石誠之助の妻ゑい(栄)は、婦人伝道師と生き、1952(昭和27)年1月5日芦屋市の娘宅で死去、遺骨は同じ墓石の下に埋葬された。 あと、墓域内の、手前は、誠之助の兄夫妻、大石余平と冬の墓。西村伊作や大石真子(まこ)の両親。新宮に教会を作った熱心なクリスチャン。1891(明治24)年10月28日の濃尾大地震で夫妻ともに圧死。 隣奥は、長男舒太郎(のぶたろう)の墓。歯科医であった舒太郎は、1948(昭和23)年8月23日妻の実家の近く岡山県内で死去。 正面突き当りには、1895(明治28)年9月25日死去の母かよと、翌年7月8日死去の父増平の墓が並んでいる。兄夫妻や母の死去の際は、誠之助はアメリカやカナダに居て、駆けつけることはかなわなかった。

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