関東大震災時に多くの命を救った井戸
記念館入口のアーチ型の門や周囲を囲む塀、玄関に通じる石畳を含む庭のあたりはいずれももとの姿を模して作ったもの。もともと関口町の敷地は、明治の初め日本の郵便制度を作ったことで知られる前島密(まえじまひそか・今も1円切手の肖像としてつかわれている)の広い屋敷の一部で、玄関脇に残る井戸(囲い部分だけ)は前島邸以来のものの模作。 春夫ははじめこの井戸を埋めたいと考えたが、4年前(大正12年)の関東大震災の時、近所の人々がこの井戸で随分助かったという話を耳にし、残すことに決めたという。 井戸の横の石の造形物は、日時計の土台の部分、春夫邸から持参したもの、時間測定の針は紛失してしまっている。

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