印東玄得(いんとうげんとく)
印東玄得(1850-1895)は医師、新宮の坪井氏の出、明治14年わが国最初の生命保険会社明治生命の設立に係わり、その保険医となる。東京帝大助教授や慶応義塾で理学講習会などを教授。福沢諭吉との交流も深く、森鴎外の「渋江抽斎」にも登場。子息の印東熊児(1871-1928)は、ドイツに留学して花卉(かき)栽培を学び、東京の滝野川に康楽園を開く。そこで働いていたのが、「大逆事件」で刑死する古河力作である。熊児の妻は新宮の明治期の教育者松田魁一郎の娘音鳴、夫妻ともに熱心なクリスチャンで、熊児から力作に贈られたタバコ箱大の豆「聖書」が力作の形見の品として、いま若狭の若州一滴文庫に保管されている。康楽園は大正3年閉園に至っている。

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