鎌倉積みの石段
鳥居前から見上げると、迫りくるような、あまりの急勾配(こうばい)の石段にまずは圧倒される。中の地蔵と呼ばれる途中までが、この急勾配。中の地蔵には千体ほどの地蔵が祭られていたが、それらは明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により谷間に打ち捨てられたと言う。 538段と伝えられている石段は、建久4(1193)年源頼朝が那智山社殿の復興とともに、寄進したと言われている。お燈祭りはこの石段を松明の火を頼りに駆け下る。「下り龍」と譬(たと)えられる所以(ゆえん)。 鎌倉積みの石段は、無雑作に積み重ねられているようだが、一定の筋肉だけに負担を掛けないような「合理性」も考慮されているのだという解釈もある。 那智の滝の飛瀧神社から那智大社へ向かう杉並木の間の裏参道にも、「鎌倉積み」の石道が残っている。

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