夭折(ようせつ)のキリスト者、水野石夫(みずのいわお)
新宮領主水野忠央(ただなか)の末子(忠幹・ただもとの弟)水野鑙(かたし)は、東京の慶応義塾に在学中、キリスト教に入信し、東京・築地(つきじ)の宣教師タムソンから洗礼を受けた。新宮の人としての最初の受洗者という。鑙は又の名を石夫(いわお)と言い、幼少の頃から秀才を通したが、渡米を期していた矢先の慶応義塾在学中の1871(明治4)年病死した。同じ頃、新宮船町の和田佐兵衛(通称湊屋嘉兵衛)と言う人は、後に神戸元町に移住、その地で宣教師アッキンソンから受洗、その教会の執事となり家族もまた信者となった。新宮人のキリスト教前史。

戻る