「日本書紀」に描かれた「天の磐盾」
「日本書紀」神武東征の件(くだり)に「遂に狭野(さの)を越えて、熊野の神(みわ)の邑(むら)に到り、また天(あま)の磐盾(いわたて)に登りて云々」とある。その「天の磐盾」がここであろうと言われ、「磐盾」の地名も残る。神武天皇が土地の豪族ニシキトベ(丹敷戸畔)の抵抗に遭(あ)い難渋しているとき、高倉下命(たかくらじのみこと)が剣を授け(韴(ふつ)の霊(みたま)といわれる剣で、現在、奈良県石上(いそのかみ)神宮の祭神)、三本足の烏である八咫烏(やたがらす)が、神武軍を大和に案内するという神話になっている。 なお、神倉神社のご神体である「ゴトビキ岩」(大きなヒキガエルの意)の側下から、昭和31年大小22個の銅鐸(どうたく)破片が発見されている。祭祀の場としての古さを証明するものと言える。

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