永楽会のことと整備事業
大正2年新宮町長に中川三蔭が就いたことによって、旧新宮藩士族の会「永楽会」が発足。 最初の事業として「水野家系譜」を発刊。大正8年8月には、藩祖肇封(ちょうほう)三百年記念碑を速玉神社境内に建立している。 昭和26年12月、南海大震災によって荒廃していた墓地が修復され、以後、市民有志によって、墓地周辺の清掃が毎月第3日曜日に20年来続けられて、水野家顕彰会も発足、整備に貢献してきており、いまでは新宮城とともにその付設の国史跡に指定されている。

戻る