唐桑(からくわ・現気仙沼市)との交流
三陸海岸の大規模な鰹漁(かつおりょう)は、気仙沼市唐桑(からくわ)の鮪立浜(しびたてはま)の旧家古館(こたち)鈴木勘右衛門(かんえもん)が、1675(延宝3)年紀州三輪崎から生餌に鰯(いわし)を使った溜(た)め釣りの一本釣りを導入したことから、画期的な成果を上げたことに始まるとされている。三輪崎の鰹船団の優れた漁法や優秀な技術を駆使(くし)した八丁櫓(はっちょうろ)の船は、三陸地方でも重宝(ちょうほう)され、「きっさま」(紀州様が訛(なま)ったもの)といわれて、今に伝えられている。気仙沼市から新宮市に模型船「きっさま」が贈られ、交流が続いている。また、「鮪立大漁唄込(しびたてたいりょううたいこみ)」や「崎浜(さきはま)大漁唄込」は、共通部分も多く、三輪崎がルーツではないのかの説もある。気仙沼の川の上流に室根山(むろねやま・岩手県一関市)があり、熊野権現が勧請(かんじょう)されている。また、仙台の伊達政宗の再建になる松島瑞巌寺(ずいがんじ)には、熊野権現の御神木、檜(ひのき)・欅(けやき)の建築用材が求められ、熊野から筏を組んで運ばれたと言う。

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