佐野川(木ノ川)の渡し
「此(この)川を祓川(はらひがわ)と云ふは古那智山の社僧祈祷して祓具を流ししよりいふなり」と「紀伊続風土記」にみえている。しかし、「新宮市誌」(昭和12年刊)では、「佐野の地質は洪積期に発達したる砂州にして、往昔は海水深く湾入し居り、岸に沿ひて迂回する不便を避けんが為捷径を取る渡津ありて、之を佐野の渡りと呼びたりしが、その入海も次第に浅せ行(ママ)きて沼の如くなり、遂には全く陸地となりて渡津の実を失ひたるものにて、その佐野の渡りは省線秋津野駅の東二三町の砂津より成る畑地の辺ならん」と考証している。秋津野駅は現在の紀伊佐野駅である。

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