川原町
写)外国人も写っている

明治・大正期、いわゆる「商店街」が生まれるまでは、この「川原町」が新宮で一番の繁華な場所であった。団平船(だんべえ)と呼ばれる三反帆の河舟が、川上から炭などを下し、逆に日常品などは川上に運ばれ、熊野川川原は商取引の拠点、交通の要衝、文化の交流点となっていた。 1914(大正4)年3月新宮を訪れた与謝野晶子(よさの・あきこ)は、この川原町の情景を次のような歌に詠(よ)んでいるー「川原には小家おかれぬ鳥来り砂に産みたる卵のやうに」(「朱葉集」所収)。昭和15年9月川原町は廃区となっている。川原町の歴史的考証は、「大水から逃げる町―新宮川原町」(丸山奈巳著・「熊野誌」52号・53号)に詳しい。


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