境内、細井八左顕彰碑
熊野川には、幾つかの渡船場があり、「阿須賀(あすか)の渡し」と言われていた渡しが一時衰えていたのを、維新期以来新宮藩士であった細井八左が池田渡船場を開拓して、「池田の渡し」として復活。周辺の熊野地(くまのじ)開拓に尽力した様子は、阿須賀神社境内にある、その功績を称(たた)える「紀功碑」に記されている。すべて漢文で記されている碑文は、山田正(号は菊園)の撰文。1874(明治7)年渡船を始めたことにより、周辺に商家が立ち並び、年々繁華になり、熊野地は新宮でも有数の繁華の地になった、と述べている。竣工は1910(明治43)年3月。碑はもと池田町にあったが、戦後現在地に移転した。

戻る