松沢炭鉱への布教活動を継続した
顕明の炭鉱布教に関しては、松沢炭鉱関係者からの聴き取りが残されている。―「明治時代に炭坑へ布教師で行くのをとても嫌って、でかけて行く坊さんはなかった。そこへ顕明師は行き約5、60人づつ坑夫を集めては説教していたが、坑夫達は坊主の説教を喜ばなかった。然し顕明師だけは坑夫たちに評判がよく、聴き手が多かったという」(伊串英治聴き取り)。「大逆事件」で浄泉寺に家宅捜査が入った日、帰宅後、自ら出頭して、二度と帰れなかったのも、松沢炭鉱に布教しての直後だった。

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