中上健次(なかがみけんじ)の墓
墓石は、新宮市高田の清流から運んだ自然石。墓の正面は、はめ込まれたのではなく、磨(みが)きだされた部分に、自身の揮毫(きごう)になる署名が彫り込まれ、掠(かす)れた撥(は)ねもそのまま生かされている。横の碑銘には次のようにある。 「中上健次(なかがみ けんじ)  1946年8月2日 新宮市に生まれる。県立新宮高等学校を卒業後上京、羽田空港などで働きながら、文筆活動をはじめる。1975年戦後生まれとして初めて、「岬」で第74回芥川賞を受賞。作品に「枯木灘」「紀州―木の国根の国物語」「鳳仙花」「千年の愉楽」「地の果て 至上の時」「奇蹟」「讃歌」など多数。1989年フランスの放送局が<ボーダーの作家たち>世界の旗手5人を企画、最初に「中上健次の世界」を制作。「鰐の聖域」などは未完成のまま残され、1992年8月12日逝去。享年46歳。 熊野大学」とある。戒名は「文嶺院釈健智」。毎年夏に行われる熊野大学夏季セミナーは、参加者の墓参から始まる。隣の墓は、両親(中上七郎・ちさと)のものである。

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