沖野岩三郎が書いた「顕明像」
1907(明治40)年から1917(大正6)年まで新宮教会の牧師であった沖野岩三郎は、「大逆事件」での難は免れたものの、その語り部として、秘密伝道という形で、事件のことを口にするのも憚(はばか)られた時代に小説等で語り続けた。「生を賭(と)して」では、顕明はじめ熊野の関係者5人との交流を、顕明については、「彼(か)の僧」「煤(すす)びた提灯(ちょうちん)」「日記を辿(たど)りて」などで描き、最近、「文芸春秋・オール読物」創刊号(昭和6年4月)に「彼は斯(こ)うして死んだ」を発表していることが分かり、そこでは顕明の一代記が語られている。

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