懸泉堂(けんせんどう・現那智勝浦町下里)
写)現在も残る懸泉堂正面

春夫の父祖伝来の地は、山側に滝が落ちていたことから「懸泉堂」と呼ばれていた。江戸期から代々医家を業とし、曽祖父椿山(ちんざん)は家塾も営んでおり、その塾の名でもあった。もともとは同じ地の「峨洋楼(がようろう)」から分かれた形だが、両塾は江戸期から明治にかけて、多くの逸材(いつざい)を輩出(はいしゅつ)した。

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