「紀功碑」
すべて漢文で記されている碑文は、山田正(号は菊園)の撰文。1874(明治7)年渡船を始めたことにより、周辺に商家が立ち並び、年々繁華になり、熊野地は新宮でも有数の繁華の地になった、と述べている。竣工は1910(明治43)年3月。

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