弟秋雄のゆかり・マロニエ
春夫の愛したマロニエの樹は、もとの佐藤邸から移植されたもの。このマロニエは、医師の弟秋雄が昭和5~6年ごろ留学先のウィーンからの帰途パリに立ち寄り、そこで拾ってきた種が目を出したもの。弟秋雄は昭和16年40歳過ぎの若さで亡くなっただけに、春夫には弟への想いのよすが。 昭和24年の長詩「マロニエの花咲きぬ」(昭和24年「改造」発表)は、父の思いを継ぐべき運命にあった弟・秋雄を偲(しの)び、哀切(あいせつ)極まりない作品になっている。結びは「知らず 紀の国の牟婁(むろ)の郡(こほり)/黒潮の海岸(うみぎし)にマロニエ花咲くやいかに。」であったが、マロニエは移植して一度だけ花を付けて平成11年、ついに枯死。花を付けたのはその年の春夫忌の5月6日であった。いまは、別の樹を移植。

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