新宮出身の須川政太郎
大正時代に主情的でゼンチメンタルな美人画で一世を風靡(ふうび)した竹久夢二(たけひさゆめじ)は、平民新聞に絵を描いていたことなどから、「大逆事件」後一時拘束されたり、尾行の付く身となったりしているが、その傷心を癒(いや)すべく千葉県犬吠岬すぐ北の海鹿島(あしかじま)にスケッチ旅行に来ていた。そこで出会ったのが、長谷川カタ(賢)。北海道松前出身で秋田高女を出たカタは、近在に住んでいた家族のもとに帰省中。夢二のカタをモデルにした何枚かの絵も残されている。 カタはまもなく、新宮の材木商の子として生まれ、上野の音楽学校を卒業した須川政太郎と結婚、政太郎が鹿児島師範学校に赴任していた時生まれたのが、第七高等学校の「北辰斜(ほくしんなな)めに」。その作曲をしたのが政太郎。一高の「ああ玉杯(ぎょくはい)に花受けて」や、三高の「紅(くれない)燃ゆる」などともに旧制高校の歌として有名。「北辰斜めに」の映画も作られている。

戻る