南谷の常念仏堂(じょうねんぶつどう)
明治9年調査として、東西25間、南北28間、面積1反7畝8歩と記録されている常念仏堂は、享保5年新宮船町和歌屋九兵衛施主となり、三輪崎の浄土宗真如寺を移転したもので、共同墓地の管理をさせるためであったという。南谷墓地はこの周辺から拡大していった。

戻る