峰尾節堂(みねおせつどう)の墓
「大逆事件」で犠牲になった峰尾節堂(1885-1919)は臨済宗の僧侶。新宮の妙心寺派松厳院(しょうがんいん)の小僧となり、京都の妙心寺でも修行、東牟婁郡九重村(くじゅうむら)真如寺(しんにょじ)、三重県南牟婁郡相野谷村(おのだにむら)泉昌寺(せんしょうじ)、東牟婁郡七川村(しちかわむら)大宝寺などで留守居僧を務める。「草声(そうせい)」と号して新派の俳句も作る。 「大逆事件」に連座、無期懲役の刑を受け、千葉監獄に服役中、1919(大正8)年3月6日スペイン風邪に罹(かか)り病死。 「峰尾うた」は母親。節堂が服役しているとき、ある町民は「うた」に、いまに息子さんも義民・佐倉宗吾郎のように称(たた)えられる時が来るだろうと励ましてくれたと言う。 真如寺に残されていた、節堂ゆかりの品が、2012年9月の熊野川大洪水により流出してしまったのは惜しまれる。

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