「牟婁叢書(むろそうしょ)」
写)「夏月集」とはさみ込んである栞

「牟婁叢書」は熊野大学の形として、その出発に晩年の中上は力を尽くした。第一弾は、熊野大学俳句部講師の宇多喜代子句集「夏月集(かげつしゅう)」。予想を上回る反響で、俳句界にも衝撃(しょうげき)を与えた。1992(平成4)年3月、中上は病魔と闘(たたか)いながら、「不意の一撃(クー・デ・タ)」とよんでその句集の栞(しおり)に書いた推薦文は、中上健次の活字になった最後の文章。 「牟婁叢書」はその後、1993(平成5)年8月「茨木和生句集 三輪崎」(宇多喜代子編集)を刊行、翌年8月には「俳句熊野大学」(松根久雄編集)を刊行している。

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