妙心寺沿革
写)妙心寺入り口

お燈祭りへ参加する上(あが)り子(登(のぼ)り子とも言われた)は、街中を周遊する形で、速玉大社、阿須賀神社に参拝、登頂前には必ず妙心寺に参拝して石段を上る。その妙心寺は、川沿いに数メートルの所にある。神倉神社の、特に「中(なか)の地蔵(じぞう)」と言われるところの造営勧進(かんじん)に係わった尼寺、本地仏は愛染明王(あいぜんみょうおう)。寺伝では鳥羽院の熊野御幸に供奉(ぐぶ)した永信尼(えいしんに)が住し、白河院の女院が心妙なる夢を見て寺を建立したとも言われ、鎌倉時代には法燈国師(ほっとうこくし)の母が入寺、法燈国師の托鉢用の木鉢も今に残っている。多くの熊野比丘尼(びくに)を配下に持つ本願寺院として栄え、その後、門跡尼寺としてその由緒(ゆいしょ)を守った。

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