仲之町が商店街に
写)明治時代の与力平岩屋敷跡。現在の新宮病院辺り

仲之町から谷王子にかけては、もとは武家屋敷と竹藪であった。町名は江戸期から見えるが、「中ノ丁」などの表記。西の橋には釘貫門(くぎぬきもん)があり、釘貫町などとも称された。明治期まだ電灯の無い時代、新宮には、点灯屋(てんとうや)と称するガス灯に点灯する人々が居たが、仲之町から谷王子などは、それすら無く、まったくの暗闇、妖怪や化け物の話しが語れられた。明治41年に開業した新宮病院は、与力平岩助衛門の屋敷跡といわれ、あたりには白壁の武家屋敷跡が並んでいた。 相筋の遊廓が火災で焼失、その後浮島に移転、新宮鉄道が開通し、町の繁華が移動するにつれて、大正4,5年頃から次第に商店街としての町並みに変化してきた。文具店の軒先などでは盛んに運座(うんざ・俳句会をもよおす)する風景も見られたと言う。

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