病院長西川義方(にしかわよしかた)のこと
写)西川義方の揮毫

西川義方(1880-1968)は和歌山市の生まれ。東京帝国大学医科大学卒業後、筒井八百珠の推薦で、新宮病院の院長として新宮にやってきた。文学的な才能も豊かで、すでに「明星」派の同人として活躍していた。「挽材(ひきざい)の鋸屑道(のこくずみち)のやは(わ)らかき熊野の海の春の長閑(のど)けさ」「熊野川若鮎(わかあゆ)さ走る早き瀬(せ)に妹(いも)とし立たば何か思は(わ)む(ん)」など、熊野の地での歌。新宮在任中、尾崎作次郎の娘やすと結婚。1914(大正3)年院長を辞職、上京。日本医学専門学校(現日本医科大学)教授となり、その後、大正天皇の侍医(じい)を務める。 ドイツ文学者池内紀(いけうちおさむ)に『二列目の人世 隠れた異才たち』という本がある。一番を選ばない生き方として16名が取り上げられていて、そのうちの一人が西川義方である。

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