オリュウノオバとの出会い
写)田畑禮吉・リュウ夫妻

「天地の辻」と言われた所から、細い山道を登った中腹にあったオリュウノオバ(田畑リュウ)の家。中上健次がオリュウノオバを「発見」するのは、1978(昭和53)年3月のこと。夫は田畑禮吉(れいきち・法名・禮静・れいじょ)でこの時はすでに死亡。新宮在住の俳人松根久雄と訪れてリュウから聴き取り。その記憶力の旺盛(おうせい)さに驚嘆(きょうたん)、「柳田国男も吹っ飛ぶ」の印象を漏らしている。部落青年文化会の第二回講座で、その聴き取りの録音テープを公開。オリュウノオバの語りは、「千年の愉楽(ゆらく)」「奇蹟(きせき)」はじめ、多くの作品に投影され、その後の中上作品に幅と深みとを与えた、と評価される。1980(昭和55)年89歳で死去、「産婆」という設定は、中上健次の虚構。

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