応答の詩
絶海中津の詩「応じて三山の賦を制(つく)る」に、「熊野の峰前徐福の祠、満山の薬草雨余に肥ゆ。只今海上波濤穏やかに、万里の好風須(すべか)らく早く帰るべし」とあり、洪武帝の「御製和を賜う」には、「熊野の峰高し血食(けっしょく・祭祀を受けるの意)の祠、松根の琥珀也(ま)た肥ゆべし。当年徐福僊(=仙)薬を求め、直ちに如今(いま)に到るまで更に帰らず」とある。 在日華僑の人々や徐福会の人々によって、昭和41年、応答の詩碑が、徐福の墓標の右手前に建立されている。

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